大きな期待とともに、乗れそうな波が沖から近づいてくる。
20メートル・・・10メートル・・・5メートル・・・そこで板と体を岸に向ける。高速道路の合流から流れに乗るときのように、後ろと前と左と右を注意深く見ながら、手で水をかくスピードを波に合わせる。波が崩れる直前、その頂点にて体がふわりと持ち上がり、板が滑り出す。ジェットコースターが登りから下りに転じる瞬間に近い、一瞬の無重力と急加速。
せりあがった波の上で立ったときの視界は格別だ。海面からの低く狭い視界と比較すると、そこからの光景はまるで自分がモーゼになったかのような気分だ。自分の一頭身下で、深い青色をした水の塊がむくむくとせり上がり、延々と割れ続ける。その先はるか遠くに見える砂浜。
その青い塊は水面から30度の角度から90度へと、徐々に傾きとスピードを増していく。ぴったりと吸い付きながら、現実界の魔法の絨毯は水切り音を立てながら飛んでいく。壁から跳ね上がる水しぶき、背後で轟く滝のような爆音、足裏から伝わってくる柔らかい感触、ゼリーを切り裂いていくような爽快感。日常生活にはない感覚のオーバーロードに反応し、βエンドルフィンが血中に流れ込み、脊椎を通じて脳内麻薬が送り込まれる。
快感の連続。一本の波が終わるまでの数秒から数十秒の間、それが延々と続く。あらゆる疲れが、悩みが、病が、体の中から排出される。全身の毛穴が開き、波に乗った者だけが感じるだらんとした達成感が体全体に残る。数日後でも、数週間後でも、数年後でも、目を閉じればその心地よさを思い出せるだろう。
ふたたび板に腹ばいになり、次の波を迎えるために沖に漕ぎ出す。たとえ波が大きくて延々と苦戦することになろうと、2トンもの海水に押しつぶされながら巨大な洗濯機でもみくちゃにされようと、呼吸ができないことの苦しみを何度味わおうと、沖で一時間も波に待ちぼうけを食らおうと、快感の連続の虜になったものは沖に向かう。
釈迦は菩提樹の下で悟りを開いた。
サーファーは波の上で悟りを開く。
一日でも多く、一分でも多く。
波に乗り続けることで、生まれた理由を悟り続けるのだ。












