今朝、携帯電話にメールが来ました。昨日自分で作ったプログラムが、「g-nagata.minidns.netの住所が変わったよ!早く住民登録を直さないとアクセス出来ないよ!」と、僕に教えてくれました。なんでかはわかりませんが、ADSLでプロバイダーに接続していると、勝手に住所が変えられてしまいます。いやがらせか?
何はともあれ、携帯のメールを見て、住所変更をインターネットの住民基本台帳みたいなところに登録しなおして、OK. これで、会社から必要なファイルにアクセスしたりできます。無くなったら困る会社の大切なファイルを家に転送したり、その逆をやったりと。もちろんホームページに書き込む事も可能。便利だなー。
ネットが繋がると、ほんとに何でも出来る気がしてしまうのだけど、結局それを生かすも殺すも自分次第なんですよね。人脈、という意味でのネットも、あるとなんでも出来る気がするけど、生かすか殺すか自分次第。おんなじだー。
なんで、たまにはプログラミングをしてみました。このホームページには、g-nagata.minidns.netというアドレスが振られていて、全世界どこからでもそのアドレスを入力すればアクセスできるようになっているのだけど、実は裏では苦労しているんです。どう苦労かと言うと。
そもそも、世の中のコンピュータには数字の住所しか振られていないんです。1.2.3.4 とか、4.5.6.7みたいな住所しか。でもって、「じゃ、ホームページ教えるよ。ええとね、http://35.1.44.126」だとおぼえにくいし格好悪いから、数字に対して英文字の住所が割り振られているんですね。すると、たとえば「http://g-nagata.minidns.net」と入力したときに、実は変換してくれる機械がそのアドレスを「http://35.1.44.126」に振り替えているんです、裏で。
ここまではいいのだけど、普通のプロバイダーに入っている人のコンピュータ、すなわち、この g-nagata.minidns.net は、裏で数字の住所が気づかない時に変動してるんです。今日は35.1.44.126だったのに、気付いたら35.1.31.26にかえられちゃってたりする。つまり、強制的に引越しをさせられてしまうのです。ランダムなタイミングで。
そうなると、g-nagata.minidns.net と誰かが入れたときに、前居た住所に居るはずのこのコンピュータが見つからない。困る。なんで、それを監視するためのプログラムを作りました。1時間おきにその時点での番地を記録して、1時間前の番地と比較する。もしも番地が同じだったら、OK。番地が変わっていたら、僕の携帯及び会社のアドレスにメールを送って、「注意:番地が変わったよ!」と促す。
それを受け取った僕は、インターネットの市役所みたいなところで、再度住民登録をするんです。g-nagata.minidns.netは、番地が変わりましたよ。って。そうすっと、ちゃんと g-nagata.minidns.net で、このページにアクセスできるようになる。因みに、試しに http://61.198.191.25/diary-021001.html にアクセスすると、きっとこれと同じページに繋がる。これが、番地そのもの。繋がらない場合は、きっと番地が何らかの理由で変えられてしまっているから。もう僕はそこにはいないのです。
そんなしちめんどうくさい事をして何になると言われると弱いし、そんなこと日記に書いてどうする、って気もするんだけど、SEとしてそれぐらいちゃちゃっと出来たらいいかなと思って。で、難解なことをわかりやすい言葉で書くことも、SEとして必要な事だと思って。
10月18日に風邪でダウンして、今日で10日目。さすがにこれだけ休みが長いと会社の人達も「入院しないほどの病気で10日休むなんておかしい」と、なんだかいい雰囲気でないみたいだ。仕方がないから、熱があってもなんでも明日は出社しないとまずいらしい、と裕子がプレッシャーを感じている。確かに、腹に来たり頭痛があったり熱が出たり咳をしたり鼻水が止まらなかったりと、延々続くのは滅多にないこと。でも、病院の先生も「抗生物質飲んで寝てれば治ります」とか言ってるし、血液検査もレントゲンもとりたててやばいところはなかったようで、何とも言えず。なんか、先生が見落としている病気とかでないといいのだけど。
そして僕は、夕飯の後にジョギングでした。週末は裕子の看病で結局走れずじまいだったから、今日は1時間走ることを心に決めて。だけど、夕飯後30分弱で出て行った為、最初の15分はひたすら腹がキリキリ痛みました。あの、小学校の時、給食の後の体育で50メートル走をやらされた時のような横っ腹の痛み。いけませんね、ちゃんと食休みを1時間は取らないとね。
ルートは、アパート→三つ目通り (国道6号)北上→隅田川→首都高下をひたすら北上→足立区と墨田区の境目の、堤通→南下→三つ目通り→アパート。今まではよく墨田区から南下して江東区まで行き、会社のある中央区を廻ってかえって来てたけど、今日は気分で北上。今まで走ったことのないところをぼんやりと走るのって気持ちいいんです。
400メートルトラックで同じところをぐるぐる走るのって苦痛だし、増してやジムのルームランナーで30分なんて拷問そのもの。俺はハツカネズミじゃねえよ!とか叫びたくなります。運動のために運動するのって、とてもつまらないのだけど、夜の東京、隅田川沿いをぼんやりと走るのって凄く気持ちいい。
今日は、裕子の大学の同期、友紀が我が家に遊びに来ることに。最近忙しくてあまり会っていなかったり、仕事で色々と積もる話もあったりということで、一名様ご招待。昼頃に家に到着し、3人で昼飯の用意をしました。手始めに、IBM同期の三紀子から教えてもらった、生ハム・トマト・バジルのカルパッチョ風サラダ、そしてパスタ二種類。納豆があまり好きじゃない友紀のために、「永田家特製納豆パスタ」を作りました。これが、美味い。って、自画自賛するなよ。
もとはといえば、以前住んでいたアパートの一階にある地元で人気の料理屋「ゆう」で出していた納豆パスタを食べて、それまであまり納豆を好きではなかった自分が感動したメニュー。こっちに越してきてから、ちょくちょく試行錯誤を加えて、ゆうに似た感じで、ちょっと自分風味の納豆パスタを作ることに成功しました。
一つ目のパスタは、「まあ、おいしい」というレベルだったのだけど。納豆パスタを食べた彼女は、口にするなり「んんふー」と。つまり、噛んで飲み込むまでもなく、味わった瞬間に「おいしー」と言いたくて、パスタを頬張ったまま喜びを表現してくれたのでした。えらく気に入ってくれて早速家でも試してくれるとのことで、めでたしめでたし。
と、ここまではよかったものの、夕方ちょっと錦糸町まで花瓶を買いにいったんです。友紀がお見舞いに素敵なお花を持ってきてくれたから、それに見合う可愛い花瓶が欲しくって。夕方の寒空の下を錦糸町まで往復し、帰りに裏にある美味しい中華で食べて、ふー満足、とかいってたら、なんだか裕子の具合がよろしくない。
家に帰って熱を測ったら、またもや37度突破…。あー、もう。やっぱ無理してたんだな。こういう時は俺が止めなくてはいけないんだな。大失敗しました。また元通り、裕子は風邪ひきさんに。せっかくいいところまで回復したのに、元の木阿弥ってやつか。
今、隣で裕子がポカリを沢山飲んで、寝てます。37度突破すると体がだるいから、明日仕事に行くかは迷い中。ああもう。やっぱ、風邪の時におもてに出るのはよしたほうがいいんですね。体が冷えるから、家で暖かい格好をしていないとダメ。勉強になりましたよ。後悔先に立たず、だけれど。
カップル誕生
同期が結婚した日。
昼過ぎ、大学のサークル時代の後輩や同期と会う予定でした。もう、結構前から予定していたし、数年ぶりに会うんだったんで凄く楽しみだったのだけど。朝起きて裕子に体温を測らせたら、やはりちょっと高め。あまり具合が優れない。ということで、苦渋の決断でドタキャン。もう、本当にごめんなさい。
夕方まで休んだら、どうやら熱も引いたようで具合もいい感じ。ということで、今度は渋谷までお出かけで、結婚したIBM同期の二次会に参加。
うちらも、入籍してもうすぐ1年、一緒に住み始めて10ヶ月。披露宴をあげて5ヶ月。まだまだ若い(弱い)カップルだけど、彼らは更に若くてフレッシュな感じでした。当たり前か。みんな最初は慣れない結婚生活を始めて、色んなトラブル(意見が合わない、金がない、刺激がない等)を乗り越えて、立派な夫婦になっていくんだろうなぁ。
身近にいる立派な夫婦は、うちの両親。よくも40年近くも一緒にいるもんだと思う。その過程で、出来のいい兄貴・姉貴はいいとして、僕のような盆暗まで立派(?)に育て上げるなんて、自分には出来なそう。できるのかなぁ。心配だ。
ということで、2002年10月26日に産声を上げた、新しいカップルと記念撮影。大変だけど頑張ってね、と声を掛けて会場を後にしました。

ナイスカップル誕生

美しい奥様に乾杯

胡散臭い旦那二人にも乾杯
2002/10/26
明日マラ
お仕事たてこんでます。
仕事があるっていいことだな。月40時間までなら残業もつけられるし。とはいっても、働いている残業時間は余裕で超えているものの・・・。月30時間残業つけると、給料が手取りで6万は増える。あーなんという幸せ。
一方。会社でお世話になっているとある部門の部長は、月島のマンション、月々26万のところに住んでいる。その学は、僕の月々の控除前給料と同じ。ああ、何たる不公平。
と、悩んでもしかたがないので、来週も仕事頑張ります。とりあえず、明日はマラソンに向けてトレーニング@皇居。頑張ります。
2002/10/25
極貧
貧しいとはこの事を言うのだろうか。
今月のカード支払いが、銀行残高不足にて失敗。あらためて振り込むことに。で、銀行の残高を補填する為に郵便貯金から移しかえたら、ゆうちょの残額がなんと、78円。78円ですよ、78円。1500円の買い物の消費税程度です。ほんとありえない。
で、銀行からきちっとカード会社に支払いをすますと、銀行の残高も僅か2000円程。締めて2078円也。50000円の買い物の消費税程度かよ。
とは言え、極貧でも楽しんでます。
にしても、裕子が早く元気にならないかな。今日も熱があるので、明日・明後日と休む予定。もうこうなると9連休、年末年始の大型連休なみです。っていうか家庭内入院って感じです。
そこのあなた、体調を崩して6日目へたってる裕子に、応援のメッセージを!
2002/10/23
仕事より健康
裕子が風邪でダウンしてからはや5日。
先週の金曜、丁度僕が戻ってきた日に裕子が完全にダウンしたのだけど、それから月・火と会社を休んでも、まだよくならない。胃炎・腸炎にもかかっている様子で、今日は病院に行って検査をしてきました。それほど深刻ではないものの、美味しく食べ物を食べられない、熱があってだるい、等の状態が5日も続くときっと精神的にブルーに陥り、治る体も治らなくなるんですよね。
退屈をしのぐ為に、日曜日から毎日ビデオを借りてきて見ています。スパイ・ゲーム、アメリカン・スイートハート、そしてセーブ・ザ・ラスト・ダンス。僕も会社から早めに帰って一緒に見たりしています。どれも面白くお勧め。たまにはゆっくりビデオを見るのも、いいのかも。
でも、仕事しすぎて体壊すのは、やっぱよくないよね。
2002/10/22
夜ジョグ
「太ったんじゃない?」
出張後、1週間ぶりに部長に会って初めて言われた言葉がこれ。ショック!!やはり、北京で一度も走らなかったのが仇となったようです。走らなかったのにはそれなりに理由があって、1)連日の勉強で疲れていた 2)空気があまりに汚くて走る気がしなかった、と。1は言い訳にならないとして、2は行ってみれば感じられる汚さだと思います。何しろ昼でも夜でも外の空気が明らかに淀んでいる。真っ白なんです。排気ガスと、石炭によるヒーティングの煤やら一酸化炭素やらで、とてもでないけど走る気にはなりません。あ、言い訳か。
なんで、久々にジョグ。家→両国→墨田川沿い→アサヒビールうん○びる→駒形橋→三つ目通り→家 を、突っ走ってきました。41分で8.5キロ。まあまあざんしょ。でも、先週のハーフマラソン以来走っていなかったから、ふくらはぎが一気に攣りそうに痛いのいたいの。しかも、汗だくになって帰ってきて、シャワーを浴びてから体重を量ったら…65キロ。二重のショック!やはり北京ダック食いすぎでした。
11月末のマラソンまであと1ヶ月ちょい。根性だけでは決して走れないマラソン、しかし根性なくしては走れないマラソン。残りの時間で、少しずつトレーニングの距離を伸ばしていって42キロ走りきるだけの根性を蓄えなくてはいけません。ブルー。
本日の走行時間: 41分
本日の走行距離: 8.5キロ
本日の体重: 65キロ
2002/10/21
我自信喪失
アルツハイマーかも。
北京から帰ってきた日に、裕子が風邪で高熱をわずらいダウン。恐らく営業の締めのために頑張っていた緊張が解けて、一気に発熱したんだと推測。いずれにしても、あまりにも熱が高い(38度後半〜39度前半推定)ので、タクシーで近くの墨東病院に搬送。出張後で自分の携帯の電池が切れていた為、裕子の携帯を借りてタクシーの中で使っていた。病院に着いて、急いで降りる時についつい、シートを確認する事なく車を後にしてしまった。
後の祭りとはこのことで、裕子の携帯をどうやらタクシーに置いてしまったらしい。
悪い事に、タクシー会社に電話しても携帯に電話しても誰も出ない。アウチ。次の日の朝にタクシー会社に電話してもらうことを約束したけど、やっぱり携帯は見つからない。
つまり、裕子の携帯を、僕が無くしてしまった。北京でのデジカメにひき続き、もう二回目。自分の携帯ならまだいいのだけど(いや、よくない)、よりによって裕子の携帯を無くしてしまったショックはでかい。嗚呼。もうダメかも。アルツハイマーかも。
で、週末はとりあえず裕子をじっくり休ませて、間に裕子の友達に連絡をして紛失してしまった電話番号のコレクションを遂行。日曜日、新しい携帯を買いに行きました。DoCoMo、N251i カメラ付き。別にカメラは付いてなくても良かったのだけど、最新機種の割には高くもなかったし今まで使っていたのがNシリーズということでNに決定。
とりあえず撮影。

場所:錦糸町のアボーサン、中華風飲み屋
2002/10/20
盲人按摩
また食っちまった。
17日夜は、初日によっちゃんと行ったお店に、また行ってしまいました。北京ダックのあのお店、今回は会社の先輩やら部長もよっちゃんに案内してもらって、マルチなメンバーでの北京ダックは更に美味しかったです。5人で行ったから1ホール(1500円)頼めたし、その他のメインディッシュも沢山注文。おなか一杯。やっぱうまいです、あの店。
無くしたカメラ。デジカメを探しにスタバに行きました。カウンターで「デジカメ、紛失?」と聞いたら、バイト君が嬉しそうな顔をして、「はいはい」と出してくれたのがビールのメニュー。おいおい、違うよ、デジカメデジカメ、とカメラを撮るポーズしても良くわからない様子。困った僕を見かねて横から助けぶねを出してくれたのが、北京に住んでいる女の子の「呉茜」。僕の通訳となってバイト君と話してくれました。
中国語はもちろん日本語も堪能で、なんでも来年3月に日本に行くとのこと。しかも、実は初日によっちゃんと僕らが話していた席のすぐ横に座っていたので、きっと僕らの会話はほとんどわかっていたんだろうなぁと思いちょっとびっくり。中国人には日本語はわからないだろうと思って適当なことを話していたら、実は全部理解されていたら恥ずかしいですね。ええ。
いずれにしても、彼女はとても親切だったので、今度よっちゃんを紹介するよと言い、連絡先を聞いてからお礼を言ってスタバを離れました。結局デジカメは、見つからず。絶句絶大。
夜は一人ぶらりとホテルの近くのマッサージ屋に行ってきました。「盲人按摩」というチェーン名の通り、マッサージ師は全員盲目。清潔な店内に案内され、シーツが交換された穴空きマッサージベッドにねっころがる。数分後に若い女性のマッサージ師が入ってきて、なにやら中国語で喋ってくる。「英語、OK?」と聞くと、「ちょっとだけ」と笑いながら答えてきて、軽く会話ができることに安心。
名前や出身を聞くと、西安から来た「シャオマー」とのこと。シャオマーは、小さな馬、と書いて、シャオマー。なるほど、この仕事について3年目という彼女はがっしりとしていて、握力も40以上はゆうにある力強さ。小馬という名前に偽りはないほどのパワフルなマッサージをしてくれた。
マッサージの内容は日本の美容室でやってくれるマッサージの基本となった技術やそれ以上に「こんなやりかたもあるのね」というような変わったやりかた、また、整体師がやるような、「体をゆらしてゆらしてグキッ!」というような関節をゴキゴキ鳴らすのまで豊富。彼らが店に出るまでにきちんとトレーニングされたことがわかる内容でした。
盲人按摩はなんだか暗いイメージがあって中々入る気にならなかったのだけど、話してみると仕事を楽しんでやっている様子が伺えて気分が明るくなりました。客が払う30分あたり38元(=700円)の料金にたいして、恐らく給料はその10分の1ぐらいだろうと思うけど、きっと実家の両親に仕送りをしつつ北京で暮らしているんだろうなと考えながら心地よい時間を過ごしました。
北京で1時間マッサージしてもらうと高いお店で北京ダックを1ホール食べるのと同じぐらいと考えると、それはそれで日本でするマッサージと日本で食べる北京ダックの値段の相関と同じなんだなと変なところで納得。でも、北京のスタバでフラペチーノを飲み食べ物を一つ頼むと、マッサージ30分ぐらいの金額になります。なんだか変な気分だ。
いずれにしても、北京ダックもマッサージも、お勧めでございます。
2002/10/17
昨日友達明日朋友
天安門事件。
戦車で人を轢き殺すような政府に従事する公安が闊歩している天安門前の片道4車線道路を歩くこと15分。とにかく北京はでかい。天安門前に通じる壁だ、と思ったら、そこから天安門までゆうに800メートルはある。地図で見ると1ブロックなのに。ほとんどの幹線道路は最低片道3車線だし、歩道は幅が5メートルもあるしでなんだかよくわからなくなってくる。
北京の住民の数は1400万程と聞いたが、その広広とした感じは東京とはえらい違い。みんななんだか悠々と歩いている。3元でオンボロになった街の地図を売る人もいれば、「写真!写真撮るよ」と胸にポラロイド・カメラを掛けてひたすら売りかけてくる観光客狙いも。屋台街を歩けば、ひとことも話していないのに身なりから日本人と察知するや、「安いよ!お客さん綺麗ね!カシミヤマフラー!」と、ナイロン100%のバーバリー・チェックマフラーやらGUCCIもどきの時計を売りつけてくる。あまりにしつこく70元とふっかけられるから、高い、10元にまけろ、と言ったらさすがにひるんで可笑しかった。
この国にいると、物の価値も人の価値もわからなくなってくる。何せ道路沿いには花壇の替わりに花の鉢植えがずらっとならんでいるぐらいだ。わざわざ花壇を作るぐらいなら、人と物を大量に投入して毎週のように鉢植えをリプレースするなんて、日本では考えられない。
そんな事を考えながらも、「上海に家を3軒持っている」という高級取りの上海IBMの人や、ワールドカップでアンジョンファンがスケートを滑る真似をしたのは愉快だったという韓国IBMの人達と楽しくディスカッションをしているこの企画に参加しているのは、幸運としか言いようがない。
世界に友達の輪を広げよう。少しでもいい世の中にしたい。そんな気持ちで一杯になるLinux Top Gunでした。
2002/10/16
ホテルで落ち着いたら、こっちで研究をしている筑波大学の同期「よっちゃん」に電話をして、会うことを約束。天安門を見たり、広場を歩いていっぱしの北京人のふりをして、地下鉄に乗車。日本と違ってビトンのバッグを持っている人は一人もいないのが斬新でした。
ハーフで1000円しないダックを食べながら、よっちゃんと北京の下克上意識や日本人の1億総中流意識についてひたすら喋ること2時間。ああ、大学の同期ってのは暖かいなぁ、3年ぶり以上に会ったのに、全然久しぶりな感じがしないなぁと思いながら、その後は北京IBMのすぐ裏にあるロフトというクラブバーでゆっくり話をし、別れました。よっちゃんは、東京は住みたくない、すむなら北京もいいと言っていたのが印象的。
筑波の学園祭といえば、ジャズ愛好会のライブイベントで、1998年に裕子と会ったところ。その時は全然互いの事を知らなかったけど、2年後に初めて話して、その1年後に結婚。早いものだなぁ。そんな学園祭に今日行けなかったのは残念…。もう、来年まで待たないといけないんだな。
こどまら
横浜市で、こどもの国マラソンを走ってきました。タイムは1時間58秒。こんなタイムじゃ本番のフルマラソンで3時間50分を切れるか心配だ。目標は3時間30分なのになぁ。
朝6時10分に家を出たものの、電車に遅れそうで駅までダッシュ。駅についたら改札前でパスネットが見つからず戸惑い時間ロス、その間に大江戸線は行ってしまった。路線変更と、JR両国駅まで400メートルダッシュ。肩で息をしながら総武線に飛び乗り、なんとか間に合った。その後、長津田駅でゆっくりしていたらこどもの国線を逃し、その次は20分間こないと知りショック。仕方なく駅からこどもの国までジョギング。
こどもの国への道で、「今日は5時間ランを走るんです」という、同じく長津田から走っている横浜市民と出会い、一緒にジョギング。8年間ジョギングをしているということだけど、引き締まった無駄のない体をしていました。「ともかく、運動しているとストレスが溜まらないんですよね」との事で、まったく同意。
実際のレースは、僕にとってはとても辛かったです。今までで一番起伏の激しいコースで、傾斜が30度ほどもありそうな急な上り坂が2・3箇所あり、その他も多くの上り・下り坂が精神的にも肉体的にも堪える。しかも、一周4キロのこどもの国園内を21キロ走るので、5周もそんな思いに耐えなくてはいけない。3周目まではなんとかいけたけど、4周目、5周目とペースダウン。辛かった。
でも、次にむけていいトレーニングができました。今後もがんばろうっと。
では、写真でも。
両国の朝: 家から大江戸線両国駅までの間。閑散。

チーム写真: レース前に集合。
左から、ヒラケン、ジロー、ノブ、ヒロシ、オレ

ストレッチ: ポーズを混ぜつつ

レース後: 2時間近く走ってみんな馬鹿になってます。

帰りの電車: 終わった走りをかみ締めてぐったり。

一つの感動: 走ったんだなぁ…オレ。
2002/10/12
明日はハーフマラソン
土曜日は、こどもの国ハーフマラソン。
走ってきます、神奈川県横浜市のこどもの国で、大勢の子供に囲まれての21キロ。将来の高橋尚子級小学生ランナーとかに負けそうな勢いです。だって、明日に備えて今日はたっぷり夕飯を食べて、お風呂に入ってストレッチして10時には寝よう、とか思っていたのに、会社を出たのが11時、家に着いたのは12時10分。あー。
夕飯はろくに食べてない、ストレッチングなんかしてる暇ない、こうなったら明日はやぶれかぶれです。なるようになれ。子供に負けてもいいや、プライド捨てます。
で、月曜日からは北京出張が控えてます。あー忙しくなりそうだ。三連休はいずこ。
2002/10/12
キックオフ
今日、会社でキックオフがあった。キックオフというのは、よく使われる言葉で、やれ新しい組織が出来たやら新規プロジェクト発足だのの機会に、構成メンバーが集まってわいわい騒ぎつつ親睦を深めるというもの。
今回は、うちの上部組織が別の部署と合併したため、新組織発足のためのキックオフ。最初は面倒くさいなぁ、上の人の話なんて聞きたくないなぁとか思いつつ参加したのだけど、意外と面白い。50代の、30年間IBMの社名を守って働いてきた強力なメンバーと対等な立場で話が出来るというものは、そうそうある機会ではない。
あまりに楽しかったので、その後のカラオケ屋までついていってしまいました。うーん、今まではあまり上下のつながりを重視しなかったけど、こうして上の人に「おう、おまえ永田って言うのか、今後も頑張れよ」なんて言ってもらえるのは悪くないですね。かといって、気に入られようとおべっか使ったりなんてのはしたくないけれど、うちの上の人にはそういうものを求めている人はいないようで、あらためて社風のよさ、よく「風通しがいい」なんていわれる理由を実感しました。
2002/10/09
夜ジョグ
本格的に、走りました。
コースは、アパート→錦糸町→横十間川南下→木場→木場公園半周→門前仲町→永代橋→IBM箱崎ビル→隅田川北上→両国橋→浅草橋→浅草仲見世→浅草寺→アサヒビール前→両国→アパート。途中のちょっとした休憩を除いて1時間45分、おおよそ2時間程の間、走りました。
もの凄く悲しかった事が一つ。木場公園には、大きな歩道橋があって、夜はライトアップされているんです。その上を渡って、電気が煌々とついたIBMビルを眺めるのが好きでした。あのビルは、8時以降一時間毎に全部の階が消灯するので、さながらドミノが倒れていくようにぱらららっと電気が音も無く消えていくのが見えました。
その歩道橋が、この前の台風でコンクリート片が落下したとのことで、閉鎖。もう通れなくなっているんです。これは、憤りを感じました。プロが設計した橋ならば、きっと風速60メートルの風にも耐えられる設計のはず。それが、コンクリート落下とは。以前あった新幹線トンネルのコンクリート落下や、首都高コンクリート落下と同じように、もしかしたらずぼらな作業によって一部が倒壊したのでは、と邪推しえません。
天気のいい日に、その橋の一番高いポイントにつったって、ボーっと下を行く車を見るのが好きでした。座り込んでストレッチをしながら、道行くランナーや散歩する犬とそれに付き合う飼い主、寄り添って歩く老夫婦を見るのが好きだったのに。もう出来ません。
今後は、きっと橋を取り壊すか修繕するかを協議して、江東区が金を出すということになればきっと1年ぐらいかけて修繕するのでしょうが、2003年後半まではあの橋がライトアップされることは無いでしょう。
と、それはともかく、久しぶりに、おおよそ1年ぶりに20キロも走り、体はボロボロでした。おまけに、疲れた体で料理をしたら、冷凍していたキザミ万能ねぎを床の上にぶちまけてしまいブルーに。しかも、疲れを癒す為にとレモンをパスタに入れたら、滅茶苦茶まずくて気が滅入った。因みにパスタは明太子パスタでした。そりゃレモン入れたらまずいって。後から気付きました。
今週末はこどもの国ハーフマラソンを走るので、久々にいいトレーニングになった。咳喘息アレルギーとやらも小康状態になり、今後は回復する見込み。よかったよかった。
本日の走行時間: 1時間45分
本日の走行距離: 21.5キロ
本日の体重: 62キロ
2002/10/08
咳アレルギー
咳アレルギーとはなんぞや。別に咳に対してアレルギーになるわけではなく、アレルギー反応の弱いもので、咳が頻発するものであるとのこと。それまで潜在的に体内に持っていたアレルギーが、風邪等のきっかけで表面化すると。
あまりに咳が直らないので、朝から病院に行ってきました。11時から待ちつづけて、初診をしてもらえたのが2時半頃。その後、血液検査・尿検査・レントゲン・アレルゲン検査をして、やっと終わったのが5時半。遅すぎる! 一日がかりで、やっとそれだけがわかりました。
薬として、直接吸引するタイプの気管支拡張薬とステロイドを貰いました。これを2週間続ければ、気管支はほぼ通常の人と同等の状態に戻り、咳も止まるとの事。
一日病院にいたら、なんだかそれだけで気分が滅入ってしまい、元気がなくなってしまった。とほほ。
2002/10/07
土曜ジョグ
土曜日、久しぶりにジョギングに行きました。2週間のブランクがあったから、コンディションは最悪の状態だったし、咳もよくならないままのジョギングだったから走れるか心配だったけど、関係なし。皇居5キロ+日比谷公園を余裕で走れました。
風邪で体力がないからって走らなかった自分がいいかげん嫌になっていたけど、走ってよかった。走れるもんだ。これからも走ろう。
さしあたっては、次の土曜日は「こどもの国ハーフマラソン」を走ろうと思ってます。僕は20キロ、裕子は10キロ。コンディションは決して良くないけど、きっとなんとかなると信じてチャレンジ。
とかなんとか言う話を大学の同期ユミと話していたら、ユミも会社の仲間と皇居の周りを走ってるとのこと。意外と皇居を走る人って多いのね。なんで、今度のこどもの国ハーフマラソンに誘いました。
こうしてジョギング好きの仲間がだんだん繋がっていくと、とても楽しいんだよなぁ。僕が大学の時は、走っている自分をみてみんな「酔狂だな」ってな目で見ていたけど、なんだ、意外とみんな走るの好きなんじゃない。
さらに驚いたのが、裕子の大学の同期ユウキ(=映画批評家)までもが最近走ってると聞いたこと。ものしずかで引っ込み思案で、映画が好きで運動とは程遠いと思っていたのに、彼女までもが。
どういう風潮でしょう?日本全国みんなスポーツ好きになっているのか?それともスポーツの秋だからか。いずれにしてもいいことだ。みんな運動して、ストレス発散して元気になろうよ。
本日の走行時間: 40分
本日の走行距離: 7キロ
本日の体重: 64.5キロ
2002/10/06
リトルマヌエラ
会社でお世話になった右近さんという方が、部署異動との事で歓送迎会に行きました。彼はとてもジャズが好きで、以前飲み会をやったあとに赤坂のリトルマヌエラというジャズのお店に連れて行ってくれたんだけど、なんとその店は実はうちの親父の大好きな店でもありました。
さかのぼる事4年前、まだ自分が学生だったころに、親父が始めてそのお店に連れて行ってくれました。大人の人達、社会的地位のかなり上の人達が、仕事の息抜きにジャズを演奏したり歌ったり出来る、その方面にはとても有名で人気のあるリトルマヌエラ。当時、そこのマスターの中田さんが、僕がピアノを弾くことを快く承諾してくださって、お客様の前で数曲弾いて帰りました。
そして1年半前、右近さん達と飲んだあと、「おぅ、俺の好きな店があるんだ、みんなで行こうぜ」と誘われて連れられて、行ったお店がリトルマヌエラ。マスターとの再会、ピアノの演奏、等々。びっくりしました。自分が社会人になる前に連れられていったお店が、また僕を受け入れてくれた感じがして。
今日は、久しぶりのリトルマヌエラ。マスターは相変わらずニコニコで、若輩者の僕にピアノを弾かせてくれました。しかも今日は、64歳のサックスプレーヤーも、マスターの大学の同期のベーシストも遊びに来ていて、一緒に演奏が出来たのです。
40歳も年齢が離れている人間同士が、「音」というコミュニケーションで世代間を越えられるって、本当に貴重な体験。だって、高々10歳離れた今時の高校生とすら、僕らはまともに会話ができないというのに。その4倍のギャップを超えられる。仕事抜きで、右近さんやその他のマヌエラのお客様とも仲良く出来るなんて。
大学の時は、社会人になったらジャズなんて役に立たないと思っていたけど、こういうところでコミュニケーションを取ることが出来たって、本当に幸せです。
ジャズ、やっててよかった。筑波大学ジャズ愛好会に、感謝。
2002/10/04
仕事も楽しい
最近仕事に追われているのが辛いやら嬉しいやら。
キオスク端末、というものがうちの製品にあって、それをLinuxで売り出そうかどうしようか上層部が迷っているのだけど、「ジョージ君、ちょっと動くかどうか試してみて」との一声で僕が試験役になりました。それがここ数週間、プロジェクトの合間をぬってやっていた仕事。
実際にやってみて、Linuxがキオスク端末で動く事を確信。その内容をまず社内で提出する「経験事例論文」というものにまとめたのが、このファイル (サイズ注:1.6MB)。
さらに、その結果を社内のちょっとえらい人に向けてプレゼンテーションを、明日することに。そのプレゼンテーションは、このファイル (サイズ注:1.3MB)。
でも、風邪は治らず。ああ、こうやって仕事を楽しんでいる人が、ある日突然倒れるんだろうなぁ。仕事を楽しむのも程ほどに。 4日 2:00AM
2002/10/03
10月突入
早くも10月突入。早いもんだ。
暫く体調を崩していたけど、今日は会社を休んで休養をとったおかげでほぼ回復しました。しかし、マラソンに向けたトレーニングは殆どやっていなくって、今年は完走出来るのかすら不安になってきました。
そうそう、裕子の同期ユウキの薦めで、最近「マルコヴィッチの穴」を見ました。見るまではどんな作品か想像もつかなかったし、見終わった今も未だになんだかきつねにつままれた感じで。あまり今まで体験のした事のない世界を体験した、という意味では、まるでアイデアのジェットコースターのような作品でした。
基本的には自分は自分でしかない、人は人である、とか。無いものねだり、とか。あなたは誰?とか。色んなメッセージ性を持っていると思うのだけど、やはり何とも言えない。何ともいえないけど、面白い体験が出来る映画。あーもどかしい。面白い映画を見ても自分が感じた事を表現できないってもどかしい。
映画も見終わったことだし、ユウキが書いた「マルコヴィッチの穴」映画批評でも見てみよう。さてはてどんなものだろうか。
「マルコヴィッチの穴」映画批評 by ユウキ
2002/10/02