我考える故に我あり
良識の定義は
「すぐれた見識。善悪の判断を下せる、社会的につちかわれた見識。」
とある(三省堂提供「大辞林 第二版」より)。ここ数年の風潮として、メディアが白と言えば白、黒と言えば黒と、自分の意見や考えを持たずに発言する人があまりに多い。特に、今回の人質報道と、それにまつわる曖昧な憶測からなる批判、罵詈雑言は目に余る。
Presumption of innocense、即ち「推定無罪」は以下を意味する。法的に起訴された人間は自らの身の潔白を証明する必要も義務も無い。有罪である事が明らかな証拠が提示されない限り、被告は無罪である。少なくとも法的には。
今回の人質「自作自演」情報に関しては、「推定無罪」を一切無視し、意図的に情報操作を行い、読者の興味をそそる煽り文句が多々存在する。信頼できる情報源や状況証拠から確実な情報が提供された時点で、はじめてその人質事件が本人達が仕組んだ狂言だったのかを判断するべきである。
現時点で存在する不確定な情報や憶測、おぼろげに見える断片的な「自作自演の証拠」だけで彼らの行為を冒涜する「賢者」達は、根拠も理由もなしに陰湿ないじめをする日本の小学生、中学生から少しも進歩をしていないように見える。
個人的な損害を受けていないにも関わらず他者を否定する理由としては、多くの場合、嫉妬が原因である。「あいつは頭がいいからムカつく」「あいつは目立つからサムい」等、否定している裏には羨望の気持ちの裏返しというケースが少なくない。
たとえボランティア及び友好の精神を持ってでも、危険な地域に行くのは愚かな行為と思う。しかし、そのような自己犠牲の精神は多くの現代人が忘れてしまった尊い心でもあり、むやみに否定すべきものではない。
自分に良識があり、自分の信念に自信があり、決して間違った事を言っていないと考える良識派の方々、インターネット上に存在する真偽が不明な情報を元に「人質事件は狂言だ」と思っている方々は、ネットで盛り上がっているらしい「卵をぶつけよう」運動に加わり、帰国した彼らに腐った生卵をぶつけてはどうか。
大丈夫、生卵をぶつけても、あなた方がやったという状況証拠が整うまでの間は加害者ですら無罪である。裁判の間に三人+二人の被告の有罪が証明されれば、あなた方ネット良識派の皆さんは「ネット掲示板上の神」としてあがめられるだろう。
それが出来ないほど自分の良識が信じられないのであれば、トイレの落書きの書き込みを読んで「私もこのトイレと同じ意見である」と言うぐらいしか出来る事はないだろう。
I think, therefore I am.
自分の考えを放棄することは、人間の定義を自ら覆すことにほかならない。部屋に引きこもってネット掲示板など見ずに、外の世界に出て自分の意見を述べるべきだ。
2004/4/19
スーツをキメる人は、ビジネスも決まる人
などという記事を、2年前に弊社の内定者向けに書いていました。今から思うと平和な日々。よくこれだけの長い文章が書けたもんだ。それにしても驚きなのが、自らスーツ推奨しているくせに、今の自分はタートルネックやポロシャツで客先に行っていること。いいのか自分?
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□□□大人の為のマナー談義その4:服装編
□□□ 「スーツをキメる人は、ビジネスも決まる人」
学生の時は、何を着てもOK。社会人になると、毎日がスーツ。ふと周りの人たちを眺めると、よれよれでしわしわなスーツを着ている人が多い。
文豪バルザックの有名な言葉に 「服装に関する無関心は精神的自殺に等しい」とありますが、私たち社会人は、そもそも何のためにスーツを着るのでしょうか。
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□□□誰がためにスーツ着る
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こんな話があります。
あるIT系の会社Mは、社員はカジュアルエブリディです。もう一つの会社Iは、社員はスーツが基本。そんな会社のえらい方々が重要なミーティングをすることになりました。
そこで、会社Mの人々は、「よし、相手に合わせて今日ぐらいはスーツでいこう!」と決意。一方、会社Iの人たちは、「会社Mに合わせてカジュアルで行こうな」と示し合わせた。
その結果、ミーティングの場では互いの意思がすれ違いましたが、
「いやーMさんたちはわざわざうちらの為にスーツを着てきてくれたんですね」
「Iさんたちこそカジュアルなんて」
と、和やかなムードが生まれたそうな。
スーツは自分のために着るものではなく、相手のために着るものなのですね。
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■□□ボロいスーツなら着るな
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相手の立場になって考えると、皺くちゃでボロボロのスーツだったら、着ないほうがまし。
「この人はこんな格好で私に会いにくるとは、随分失礼な人だな」そう思われてしまいます。
毎日着るものですから、1日1着、5日で5着を着まわす余裕がなければ、当然皺がよります。雨の日に着たら生地が傷みます。満員電車で裾だって踏まれます。
だからといって、皺しわでボロボロになったスーツを毎日のように平気な顔で着る人がいる。恐らく、「スーツを着ればオーケー」という考えが頭に定着したものの、何のためのスーツか忘れてしまったのでしょう。
スーツは、お客様、社内、家族、彼/彼女の両親等に会いに行く際に、一番「安全」な礼服です。礼服とは、礼儀のために着る服ですから、皺くちゃのスーツで礼儀などあるわけがありません。同じく、たまに見かけますが、服装がスーツなのに靴下がスポーツ用の白ソックスというのも、礼儀以前に「変」ですよね。
たとえば結婚式にて、新郎がタキシードに白ソックスを履いている姿を考えてみると、その可笑しさがわかります。
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□■□チノパンでも礼服に、スーツでも無礼に
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IBMの営業の方々は、基本はスーツです。昔からそうですし、今でもそうです。ですが、今後変わるかもしれません。同業者であるオラクル社員は、「スーツなど滅多に着ない」といっていました。
お客様に失礼か、失礼でないかという観点で考えてみると、担当するお客様の社風いかんでは、スーツが失礼にあたることもあります。
お客様がカジュアルな動きやすい格好でひっきりなしに動いている、とあるプロジェクトルームにて。IBMの社員がプロジェクトに来てから2週間たっても、相変わらずスーツで出勤しているのを見て、「あんたらはいったいいつになったら仕事する格好でくるのかね」と一喝。
まわりの社員が全員カジュアルなのに、一人スーツというのは逆に「厭味」とも捉えられてしまうのですね。当然、その次の週からはチノパンとスニーカーをはいて出社。お客様も納得してくださいました。
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■■□楽しく着こなそう
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とはいえ、やはりIBM社員はスーツが多い。せっかく毎日着るのだから、楽しんで着こなしましょう。
どんなにいいスーツを着ていても、着こなしが悪くてはスーツが生きません。逆に、最近の「2プライス系ショップ」で売られている19000円のスーツでも、かっこうよく着れば20万のアルマーニよりも素敵に見えます。
ネクタイの色合わせ、シャツの柄、靴やベルトとの相性。カジュアルも楽ですが、スーツを着るとなると一層着こなしに気を使います。朝寝坊してじっくり組み合わせを吟味できなかった日は、丸一日自分が弱々しくなった気がします。
入社後は暫くどう着ればいいのか判らないかもしれません。周りの社員や映画、雑誌等を参考にしつつ、徐々に自分のカラーやスタイルを把握して、楽しくスーツを着ましょう。
きっと半年後には、「彼(彼女)のスーツ姿は決まってるねぇ」と言われるようになります。初めて会うお客様にとっても、あなたの印象がスーツ一つで150%は上がります。
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■■■センスは「ある」ものではなく、「磨く」もの
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最後に、「ボクはセンスがないから無理なんだ」と嘆いていらっしゃる方。生まれつき「センスがいい人」など世の中にはいません。ラルフローレンだってミヤケイッセイだって若い頃は「センスのない人」だったのです。
毎日服を身に付けるたびに「変身」する事に楽しさを見いだし、自分なりに創意工夫を重ねることでセンスは磨かれることを、忘れずに。
みんなのために、スーツを着よう。
自分のために、お洒落しよう。
2004/4/15
いい音楽は残る、いいモノも残る
「リチウムポリマー電池」って、聞いた事がありますか?
今、僕はとあるメーカーであるお客様先への通勤電車の中。耳にはジャズ、頭にはヘッドフォン、ケーブルの先にはMDプレーヤーでもなく、CDプレーヤーでもなく、「ソリッドオーディオプレーヤー」というものが繋がっている。カードサイズで厚さは8ミリ程度。最近箱崎でなく埼玉まで出勤する事が多いので、少しでも多く耳にジャズをと思い、4年前に使っていた物を引っ張り出して使ってみた。
電池の充電は切れていたが、一晩充電したらフル充電で8時間持つ。カードサイズで200分の音楽が胸ポケットに難なく収まる。今でこそ当たり前のように使われているこのデバイス、ほんの5年前は存在しなかった。なぜなら、この薄さには充電電池を内蔵するのが不可能だったからだ。今までの充電用電池はニッケルカドミウムやリチウムイオン等円筒形のものが殆どで、四角形で薄さ数ミリの電池などマーケットに存在しなかった。
そんな電池のマーケットに革命を起こした人達が居た。電池が円筒形である必要は無い。「リチウムポリマー電池」というものを開発して、性能を高め、製造効率を上げ価格を下げた。その結果、リチウムポリマー電池は現在の世の中の多くの電子製品に使われている。薄くて軽いこの電池は、超薄型デジタルカメラ、携帯音楽プレーヤーをはじめあなたが使っているノートPCの液晶の裏側にも搭載されているかもしれない。
うちの親父は当初、商社に勤めていた。その後、会社員人生のラスト数年はメーカーに移った。「昔から、いつか物作りをしたいと思っていたんだよね」と言っていた。当時はピンと来なかった。
転職数年後、あるプロジェクトに携わっていた。メーカー数社の共同開発プロジェクトで、親父達は電池部分を開発し、別の会社が本体部分を開発。「これは凄いよ、聞いてみなよ」と、差し出されたのがプロトタイプ型の「ソリッドオーディオプレーヤー」だった。半信半疑でヘッドフォンに耳を当てると、若干ざらついた音だが比較的高音質のジャズが流れてきた。「へぇ、たいしたもんだね」と軽く感想を述べるにとどめておいた。1999年にそのプレーヤーは市場に出たが、あまりの斬新さ故、CD・MD以外で音楽を聞くことに慣れていない人達、MP3等の音楽をPCで作成して転送する環境が無い市場には評価されなかった。
今、僕は電車の中でソリッドオーディオから流れるジャズを聞いている。うるさい車両の中では多少ざらついた音でもCD音質とさほど変わりはしない。そして、僕の周りにもMDプレーヤーではなく、CDプレーヤーでもなく、名刺サイズや腕時計サイズの「ソリッド・オーディオ式」プレーヤーで音楽を聞いている人達がいる。今でこそAppleのiPodが売れまくっているが、その成功は99年の売り出し失敗の上に成り立っている。
名刺サイズで8時間
メーカーのお客様への通勤に、親父が所属したメーカーが5年前に作った物を使っている。今でこそ「物作り」の大切さが身にしみる。僕らSEが作った物即ちシステムは、3年、5年と経つと「古い」と言われて破棄される。新しい物にすぐに取り替えられてしまう。今まさに、僕がやっている仕事は、4年前に僕の先輩SEが作ったシステムを「古いから」という理由で新しく作り直しているところなのが皮肉か。
だが、形ある物は残る。いい物は所有者の元に残され、愛され、使い続けられる。「捨てる技術」という本が数年前に流行ったが、それも愛着が涌くと人は物を捨てられないからこそ売れたのだ。そして、飽きっぽい現代人に真っ先に捨てられるのは「捨てる!技術」の本そのものなのだ。
いい物は残る、いい音楽と同じように。愛される物、使いつづけられる物を作りたい、そう考えていい仕事をし続けているメーカーの人たちの業績から、今日の仕事へのモチベーションを得た。
2004/4/1