Diary-2004/4  Top Diary-2004/6
バイト用語、ファミレス用語

朝から晩までお疲れ様です。

たまに23時に送られてくるメールで「こんばんは」と書いてあるのを10AMに開封し、「こっちはもう朝だよ」と返答したくなる永田ジョージでございます。

何がお疲れ様って、最近社内でネコも杓子も挨拶は「こんにちは」「おはようございます」ではなく「お疲れ様です」だよね、と話題になっており、そういえば10AMに席につこうものなら挨拶は「お疲れ様です」だよね、でもまだ誰も疲れてないよね、と。アナタ疲れてますか?IT系社員は家でも仕事ができるので、ある意味毎朝お疲れ様なのですが。

そういえば、
 「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
  (出したばかりなのにもう過去形?)
 「こちらコーヒーになります」
  (何がどう変わってコーヒーに成るの?)
のような、意味深なバイト用語に対して電話や投書でクレームを受けて、ロイヤルホストは「バイト用語根絶します」というニュースリリースを昨年5月に出していましたが、その後根絶状態にはなりましたでしょうか。

 いいえ、とんでもございません。お釣り様、丁度からゼロ円お渡ししませんがよろしかったでしょーか。おタバコのほう、お外のほうでお吸わりにおなりください。吸わねぇよ!

その他、夕方からバイトに入っても「おはようございます」もあるよね、という話になり。僕も大学時代水商売バイトしてましたが (といっても僕がゲイバーでスタッフとして働くとかぢゃなくって)、「うちは夜から店を開けるため9PMでもおはようございますと言うんですよ」、と教育されました。が、水商売に限らずドンキホーテを始め様々な業種の店が24時間営業なので「いつでもおはようございます」が定着しちゃっているんでしょうか。

バイト用語じゃないけど、僕が小学生の時に兄貴が「いまいち」 という言葉を覚えて家族内で「うーん、これイマイチ」 と言っていました。そん時、母親が 「いまいちじゃありません!今ひとつです」 兄貴 「えーでもみんなイマイチって言うよ」  母親 「今一つ と書いて イマヒトツです!」と怒っていました。20年後の今、「いまひとつ」という人の方が少ない気がするのですがどうでしょう。そんな母親もたまに「すごい美味しい」と口にしたりします。「すごく美味しい」でしょ!と突っ込むと、「いいのだ」と開き直ったりします。

日本語は変わっていくものですが、美しい方向へと変わってもらいたいものです。そのためには僕ら日本人の一人ひとりが、好ましくない日本語はできるだけ使わず、美しい日本語を使うべきと考えるのであります、閣下。

2004/5/30


ボタン粉砕された、ボタン付けてくれた

先日の、二つのクリーニング屋。

お気に入りの白シャツの上から二つ目のボタンが粉砕されて戻ってきたのもつかの間、サービスのいいクリーニング屋にそれを出したら、先日戻ってきました。なんと、ボタンが綺麗についているではないか!

たとえ15000円のシャツでも、ボタンがなければ只の布。しかも上から2番目なんてかなりクリティカル。その価値を理解してくれて、他のボタンと全く同じような貝のボタンをつけてくれた「付加価値」のあるクリーニング屋はやはり素晴らしい。

サービス業というもの、他と同じ事をやっていても顧客はつかないんですよね。

お客様を感動させるところにサービス業の真髄はありと見た。僕も頑張ろう。え?IBMはITの製造業じゃないのかって?違います。IBMのハード、ソフトをパッケージとして売りますが、使えるように準備してお届けするのは僕たちサービス部隊なのです。サービスわるけりゃ命とり〜 (通販のニッシンCMより)。

2004/5/26


両面教師から学べること

家の近くに二軒のクリーニング屋があります。3月末までYシャツを頼んでいたHクリーニングは、¥450/枚。一方、4月はじめにオープンしたYクリーニングは、¥200/枚。汚れが落ちて皺が伸びればいいものと思い、4月からYクリーニングに出すようになりました。

4月後半、気付くとボタンの角が若干欠けていました。破損の原因について身に覚えはありません。その数日後、別のシャツのボタンがひび割れており、はめる時に半分に砕けました。いよいよ不信に思い、渡されたYシャツを見たら、2個のボタンが酷くひび割れており、1個のボタンはほぼ粉砕されていました。これほど頻繁にボタンが壊れるのだったら、きっと苦情を受けているものと思い、クレームをしました。「ボタンが壊れるのを知っていてクリーニングを受け付けたのですか?」と。

店主は悪びれる様子も無く、「確かにこのような天然貝を使ったボタンは壊れやすいですが、工場で流れ作業でやっておりますので、個別に気をつけてプレスはできません」と言います。ふと店内の張り紙を見ると小さな文字で「天然素材のボタンは壊れやすいので、外して出されるようお願いします」と書いてあります。これではいいYシャツはクリーニングに出すな、と言っているようなものです。「それなら出さなかったのに」と苦情を言って帰りました。「はあ」とは店主の気の無い反応。

久々にHクリーニングに行き、最近のクリーニング事情を聞くと「最近は天然素材のボタンが多いので大量処理のプレス工場では壊れてしまう」との事。更に「うちは手作業なんで大丈夫ですけどね。天然貝の換えボタンはあったかな・・・もしあったら付け替えておきますよ」と嬉しいコメント。彼は自分の仕事、店のサービスに誇りを持っています。/p>

ボタンが破損する事を認識しながら、顧客に口頭で伝えずにYシャツを駄目にするYクリーニングと、「ボタン付け替えておきますよ」とクリーニング以上のサービス、付加価値を提供してくれるHクリーニング。私の大切なシャツを自分のもののようにケアしてくれるサービスなら、倍以上の値段でも高いと思いません。安かれ悪かれのYクリーニングにはそれ以来行ってません。

仕事において、他社と比べるとIBMのSEは単価が高いと言われます。値段について苦情を言われているだけの場合は弊社の魅力を伝えられていない、価値を届けられていないものと思います。"This is IBM"と誇りを持って、お客様の要望に応え、期待以上のサービスを提供しようと思いました。二つのクリーニング屋の反面教師ならぬ両面教師から学べる事

2004/5/21


痺れを超えて

相変わらず痺れる左腕。

雨の中、歩いて徒歩3分の中華料理屋「江城」へご飯を食べに行った。八角の香りが食欲をそそる「牛肉あんかけご飯」を一気に食う。

お父さんが「首どう?」と聞いてくれるんで、ちょくちょく痺れている事、今後仕事を午前中休んででも病院に行くつもりな事を話しました。

飯を食い終わった後、店内で椅子に座らせてもらって「治療」。他のお客様の目をちょっと恥ずかしく思いながら受ける。肩から腕へとマッサージで暖め、腕を上に引っ張って伸ばす。暫く痺れる。

最後に首から上を力強く持ち上げられて、治療完了。再度お礼を言い店を後にする。

行く前に比べて首周りが楽になり、腕の痺れも消えてる。本当の治療はこれから先長いけど、近くに頼れる人がいるとのは心強いです。

2004/5/19


シロガネーゼとマリナーゼ

白金に住むマダム達がシロガネーゼと呼ばれる事はご存知。では、マリナーゼは?

寒い、寒すぎる。なんでもかんでもそこに住む人達を〜ネーゼと呼ぶとは。すぱげてぃか?フェトゥチーニ・ボロネーゼですか?一体どこの雑誌、番組がそんな呼び方をしているのでしょうか。とにかくネーゼ大安売りバーゲン中のようです。

このままではネーゼの安売りで、しまいにはリョウゴクーゼやキンシチョーゼ、そしてカメサネーゼまで出てしまう。そうなったら最初にシロガネーゼと呼ばれてちょっとウキウキだった人達が「何よあんなイナカモンまでネーゼ呼ばわりして、失礼致しちゃうわ」とブーイング出ること間違いなし。

因みに、新浦安です、しんうらやす。ディズニーランドも近いので地価価値も上がっているとか。でもそう呼ばれる本人達はちょっと苦笑気味らしく、「ウメタテーゼと呼んでもらいたいね」とふざけているとか。

それはそうと、永田町に新たな求人広告が出ていたとか出ていないとか。「求む!国会議員、幹部候補 条件:年金未納及び未加入期間が無い方」 そんな奴らが年金のありかたを決めるなんて世話がねえぜ。

おあとがよろしいようで。よろしくねえぜよ。

2004/5/18


気持ちは言葉の壁を越えられるか

中国4千年の歴史は料理だけにあらず。

最近あまりに肩こりが酷く、更には左腕が指先にかけてしびれるようになったのでこれは酷い、なんとかせねばと思って、「いいマッサージ師もしくは針灸師を知りませんか?」と、近所の中華料理屋「江城」の人達に聞きに行きました。中華料理の職人だから体は酷使するし、仲間のつながりが強い中国人の彼らの事だからきっといいところを知っているだろうと。

すると、なんとシェフのお父さんが、ドクターだと言う。もうお爺さんなのだが、中国で医大を出ていて日本に来てから金町で開業していたという。バリバリのお医者さんだ。

ちょっと触ってもらうと、「これ肩こり違う、首ね」と。細かいところを息子さんに訳してもらうと、どうやら頚椎にずれがあり、それが脊椎の神経を圧迫しているという。肩が痛いうちはまだ症状が軽いのだが、それが「痺れ」となるとかなり重く、3ヶ月以上の治療が必要と。恐らく昔やった怪我だと思うが、若い時は筋肉が支えてくれているので気付かず、衰えたので圧迫が強くなったらしい、と。愕然とした。

3月頃から肩こりが急激に痛みへと発展したが、仕事の激務度合いとタイミングが重なっていたので恐らくストレスからくる痛みかな、マッサージでも行くかなと考えていたが、そんな軽いものではない。むしろ、気付かず下手にマッサージなんてしていたら、圧迫して酷くしていたかもしれない。

中華料理屋の2階に即席の治療所、というか、椅子と床に敷くマットレスを設けてくれて、ちょっとした治療を開始。椅子に座ったら、お父さんが手を独特の動きでパタパタさせながら首から手にかけてさする。触られたところがどんどん暖かくなって、「気」を送られたような不思議な感覚。そして、顎と頭を腕で抱えられて、思い切り持ち上げられる。座位からの首吊りのような動きだ。首がキリンになる。

その後、マットレスに寝かされ、整体師がよくやるような、首をぐきっ、こきっと左右にひねる動き。特に痛みはなく、音もしない。テレビでポキポキ言っているのは演出か?と思うぐらい平気。「力、抜いて」と、彼が話す片言の日本語はぶっきらぼうに聞こえるが、言葉の裏の感情は優しい。むしろ、言葉だけ優しいが心がこもっていない「よろこんでー」の方が気になるこの頃。

立ち上がってみると、痛みも痺れも消えている。首がちゃんと曲がる。すごい、さすがだ。でも、根気よく3ヶ月以上治療しないと根本的に治らないらしい。「平日夜、時間があるときに来ればやってあげる」と、涙が出そうになるぐらい優しい事を言ってくれるから「謝謝」と言って握手をすると、「あなたお客様」と。僕と裕子がしょっちゅう食べに行っていて、友達も連れて行ってるからお返しだよ、という気持ちらしい。「いやいや、江城は僕らの食卓ね」と返す。

4時間後、夜ピアノを弾いていると、また左が痺れてきた。まずいまずい、と思って首を意識的にピンと伸ばすと、痺れが消える。痺れている、ということは、頚椎が変な風に曲がって神経を圧迫している事に他ならないのに、「きっと肩こりで血の巡りが悪いんだろう、慢性的な痺れだ」とタカをくくっていた自分が恐ろしい。このまま放って置けば、本当に体のパーツを捻れなくなるぐらいに悪化するかもしれなかったが、江城のお父さんのおかげで問題の本質が判ってよかった。

何より嬉しいのが、僕は中国語を喋れない、彼も日本語は得意でない。でも、そんな事は関係なしにお互いを尊重していて、気持ちは通じるということ。感謝の気持ちは言葉の壁を越えるということ。

2004/5/15


音楽は心のごはん

電話で友人と「やっぱ音楽っていいよね」という話に。

大学の時に、音楽は心のご飯だと言いながらジャズをやっていた。ここ数週間、ピアノを触っても余り楽しくなかった。でも、辛い時や嬉しい時、感情が高まる時にピアノを弾くと、音楽の神様がちょっと降臨してくれる。

ジャズに限らず、色々弾いてみた。

風をあつめて
さくら
涙そうそう

やっぱいいです、音楽。自分の内面をそのまま出してくれる。素直な時は素直に。雑な時は雑に。今日は素直な日。

2004/5/14


ネーミングセンス問題

疑問に感じるネーミング。

芸能事務所の「イエローキャブ」 これはもう、そのまんま。米国の白人・黒人が米留学中の中国系/日本系の女性を蔑視する時に使う言葉だ。イエローはまんま黄色人種、キャブはタクシーの意味で、即ち「誰でも乗れる黄色人種」であり日本語の該当する言葉は「公衆便所」だったりする。ある意味日本の汚れきった芸能界にぴったりの名前の事務所なのかもしれないが、センスが悪すぎて気持ちが悪い。

ワコールの通販「ワナビー」 WannaBeとは「自分らしく」がテーマらしいが、 思い切り正反対だ。英語でWannabeは、「〜かぶれ」とか「〜に成りきれない奴」という意味。"Gangsta wannabe preppie"は不良かぶれの坊ちゃんだし、"Britney wannabe"と言ったらブリトニー・スピアーズみたいな格好をしてるがサムい女、という意味だ。センス悪い。

社名、サービス、バンド名、なんでもかんでも片仮名やアルファベットで名前をつければいいとは思わない。日本語の名前でもいい響きはある。ミスターチルドレン? 最初聞いたときは「何故子供達(複数形)にMr.なんだろう」と真剣に考えた。GLAY?「黒でも白でもない、灰色という意味のバンド」ってそりゃGRAYだよ、と思ったが、GRAYだとつまらないからGLAYにしたらしい。音楽的には優れているのに名前は微妙、とはいえ世間的にはもう受け入れられているけども。

そんな「なんでもとりあえず英語Wannabe」な風潮があるからこそLost in Translationのような映画の中でパロディーにされてしまい、挙句の果てに「日本差別だ」と言っている人達、それが僕ら日本人だ。もっと日本に誇りをもて。ベッカムはイギリス出身だからといって貴公子ではない。

2004/5/11


失われてしまう言葉

知らない街。初めて見る人達。理解できない言語。一人ぼっちな感覚。

迷い。とまどい。どこに行けばいいのだろう、何をすればいいのだろう、誰といれば落ち着くのだろう、という感覚。これは全て、異国に一人で行ったときに感じるもの。人はそこで突然生命の危機と自分の遺伝子が失われてしまうのではないかという感覚に襲われ、集える仲間を探すようになる。

見た目が同じ、話す言葉が同じ、感覚が同じ。そんな人を見つけると、ほっとする。アメリカに留学した日本人達が大学内で日本人同士で付き合ったり日本人同好会を作って結局アメリカ人と一緒にいない間に留学期間が終わってしまい、結局英語が身に着かないパターンだ。それはアメリカ人が日本に来ても同じだ。

RとLの発音が上手く区別できずにRipをLipと言ったり、完全な文法でないために「手を顔の近くに持っていって」というのを"Close hand, your face" -「手を閉じて、あなたの顔」と言ってしまう日本人の英語をアメリカ人は理解できない。理解しようとしても慣れない為に苦しむ。そして通訳は30秒間の日本語文章を5秒の英語文章に短縮してしまい、アメリカ人は「僕は真意を伝えてもらっていない」と不安に思う。

電車に乗れば堂々と女の裸が描かれた漫画雑誌をサラリーマンが広げ、パーティで何もする事が無くなったらカラオケで朝までからさわぎ。理解したくても理解できない日本に益々寂しさを感じる。自分はどこに属せばいいのだろうと。

そんな、日本にきた外人の違和感を上手く映画化した「ロスト・イン・トランスレーション」を友人含め5人で見た。普段何気なく見ている東京の風景、ホテルマン、日本滞在中の外人を、ソフィア・コッポラの視点から見るとちょっと新鮮でもある。日本にいる外国人は六本木で異邦人同士でつるんでおり、なかなか現地の日本人とは仲良くならない。その理由がわかるし、責める事もできない。アメリカに留学した日本人の6割が固まっている現状を責められると僕らも辛い。



何気に美人

往年のコメディアン、ビル・マレー は昔のおかしさや皮肉っぽさを保ちつつもかなり渋くなっていて、決して色男ではないけれども若い女の子がちょっと惚れてしまいそうな魅力がある。主演女優のスカーレット・ヨハンソンは「ハリウッドきっての飛び切りの美人」という感じではないが、味のある顔と憂いのある表情が魅力的に撮られている。

「ものすごく駄作」「期待外れ」「あんなの日本じゃない」と言って批判する人達もいるが、僕らは楽しんだし、共感もした。あの二人の気持ちに全く共感できない人は、もしかしたら外国に一人旅をした事がないのかもしれない。あれが日本じゃないと言う人は、あれこそが「外国人から見た日本」だということに気付いていない。日本、特に東京は軽薄で刹那的で居心地が悪いのだ。一方で活花やお寺などの「古きよき日本」もフィルムには収められているのだが。



かなりおっさん

ハリウッド臭くない映画だ。来日中のバカで音痴なアクション映画女優(=キャメロン・ディアス)を模したキャラクターが出てきて夫との関係に水を差したり、「文章も書いたし自分の足の写真も撮ったが全て駄作だった」と主人公が言うところなんてまんまソフィア・コッポラの自伝的映画でもあるようだが、そんなことは何も考えずに自分の経験と照らし合わせて共感できるとちょっと心が温まる映画だ。クレジット最後は、はっぴい・えんどの「風をあつめて」で終わる。日本も捨てたもんじゃない。

2004/5/8


自己表現

英語のテストを受けましてね。

午前中は筆記、午後は15分の面接。3分間の自己紹介と、予め渡された紙に書かれた4つの時事ネタから一つ選んで喋りなさい、という。迷わず選んだのは、「イラク人質事件の3人が日本の世論にバッシングされた事とその理由について」でした。

先月、会社の同期が彼らを「自作自演(※注)だ」「自己責任だ」と批判していたのを見かねて抗議した。どうしてその様な心の無いことを言えるのかと。自分はボランティアをしたことがあるのか、する人の気持ちと覚悟を理解しているのかと。彼は、そんな事はどうでもいい、とにかくあいつらは馬鹿だ、死んだほうがましだという意見を述べていた。納得できない。

(※注:「自作自演」とは通常劇作家が自分で作った劇を自ら演じる事を示すが、最近は誘拐事件の「狂言」的な意味で使われる事が多くなった)

彼は、有名ネット掲示板のヘビーユーザー故、そこに書かれた匿名の誹謗・中傷や左翼的な意見を真実として捉えて、その様な心無い結論に達したらしい。では、誰がその風潮、即ちまるでこの事件が狂言だったかのような噂や、彼らが捕まったのは彼らが無責任であるからという世論を作り上げたのか。

真実は闇の中だが、メディアやネットにその風潮を作り上げたのは他でもない日本国政府という意見もある。ジョージ・ブッシュの手先とも言える彼ら政府は武装グループ、そして人質となった人たちの家族の自衛隊撤退要求に苛立ち、所謂「逆切れ」を起こした。

お前らが捕まったのはお前らが悪い。自衛隊を派遣した事は関係ないだろう。なのになんだ、恩知らずが。ちょっとは思い知れ。と言う事で、マスメディアとネットに「この事件は狂言かもしれない」「彼らが悪い」という「世論」を作り上げた可能性はある。週刊誌を信じるわけではないが、首相官邸に出入りしている贔屓の番記者に「このように書いてくれ」と小泉が言えば一発だろう。

原因がなんであろうと、日本人はすぐに「いじめ」をする。異質なものは排除する。マスメディアは抗がん剤のつもりか。ボランティアはがんだと言うのか。そうやって排除する自分達はなぜ正常な細胞だと言い切れる?もしかしたらとっくに壊死を迎えるはずの細胞かもしれない。

髪が天然パーマだ。いじめる。目がちょっと青い。いじめる。声が高い。いじめる。成績が良すぎる。いじめる。ボランティア?そんな奇特なことする奴はもちろんいじめる。劣化ウラン弾?そんなものは知らない。いじめる。

そうやって、世論の尻馬に乗って、人質を一緒になっていじめた「正常な細胞」たちは、所詮その程度の人間だ。他者の行動を理解して、共感して、刺激を受けることをしない。そんな細胞は再生を待たずに滅びるだろう。

そんな強い思いを持っていた僕は、英語の試験と言う事も半ば忘れて、試験官に熱く今回の事件の顛末と自分の考えを語り尽くした。あっという間に試験終了。果たして受かったのだろうか。もはやそんなことはあまり重要でもない。

大切なのは、常に自分なりの意見をもつこと。そして、それを表現できること。表現者でありたい。

2004/5/7


音楽に癒される日々

ストレスの多い社会で。

先日のStevie Wonder、昨日のはっぴいえんどと、最近何かと音楽に癒されている気がする。音楽とは、文字通り音を楽しむ事。

偉大なミュージシャンが昔言った言葉は、「世の中には二つの音楽しかない。いい音楽と、そうでない音楽だ」らしいが、いい音楽は心にすっと染み込み体の疲れですら取ってくれる。悪い音楽は精神状態を不安定にして、無性に暴れたくなったりする。

いい音楽は10年、20年経っても世の中に残る。元の音源がそのまま残る、楽譜として残る、他のアーティストによってカバーされる。

どんなに金持ちになっても世の中に貢献しなければ何も残らないが、金が無くても世代を超えて聞かれる音楽を残せた数少ない人達はきっとあの世で喜んでいるのではないだろうか。

ここ数年でリリースされた数多くの音楽業界による使い捨て「ディーバ」(例:小柳ゆき)や「アーティスト」(モーニング娘。)達の歌、果たしてどれだけが3年、10年経っても人々の心に残るだろうか。

音楽業界の偉い人達は、CDの売れ行きが下がったのはインターネットで人々がファイル交換をするからだと嘆く前に、自分達がファイル交換でしか聞く価値の無い音楽を出版している事に気付くべきだ。本当にいいものに対しては、高い金を払ってでも手に入れたいと思うものだ。不況下でもエルメスが売れまくるのを見ればいい。「バッグが売れなくなったのは中国からの輸入が増えたからだ」と嘆く重役はLVMHにはいない。

2004/5/6


不朽のメロディ、色あせない歌詞

"風をあつめて" by はっぴいえんど
作詞: 松本隆; 作曲: 細野晴臣

街のはずれの 背のびした路地を
散歩してたら しみだらけの
もやごしに 起きぬけの路面電車が
海を渡るのが 見えたんです それでぼくも

 風をあつめて 風をあつめて
 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです
 蒼空を

とても素敵な あさあけどきを
通り抜けてたら ガランとした
防波堤ごしに 緋色の帆を掲げた都市が
停泊してるのが 見えたんです それでぼくも

 風をあつめて 風をあつめて
 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです
 蒼空を

人気のない 朝の珈琲屋で
暇をつぶしてたら ひび割れた
ガラスごしに 摩天楼の衣擦れが
舗道をひたすのを 見たんです それでぼくも

 風をあつめて 風をあつめて
 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです
 蒼空を

−−−

最近TVで懐かしい感じの曲が流れていて、気になったんです。

ああ、こんないい曲を奏でるバンドもいるんだ、インディーズ出身の人達がメジャーデビューしたのかな、と。CMは映画「ロスト・イン・トランスレーション」の予告編。amazon.comでサントラを見つけた。曲名は「風をあつめて」。演奏者は、69年に結成して73年には解散した「はっぴいえんど」というかなり昔のグループで、フォーク〜ロック過渡期に名を馳せていた事が判明。

メロディ、歌詞、楽器と声の絶妙な混ざり具合、全てが完成されていて、美しい。何度も何度も聞いていると、その時代の高度成長期の東京、やたらなブランド信仰や電車内での恥知らずな化粧行為などなかった、丁度今の北京のような情景が思い浮かべられて、ちょっと胸が苦しくなる。

大衆音楽は、70年代に既に終わっていたのかもしれない。大衆の成長もまた、同じ時期に終わっていたのかもしれない。

cover
Lost in Translationサントラ盤
2004/5/5


"レイトリー" by スティービーワンダー

明確な根拠は無いんだけど いやな予感がする
君を失うんじゃないかっていう気持ちが 心に渦巻いている

パーティに行く用もないのに 香水をつけるようになったね
いつ戻ってくるのか聞いても 答えはいつも「わからない」

楽観的に考えようとしても 予感が外れる事を願っても
僕の目は 本当の気持ちを知っている
否応なしに目から涙が溢れてくるから
今度こそ終わりかもしれないと判ってるから

鏡の中にいる壊れそうになりそうな自分と向き合う
君を疑う理由なんてないと自分に言い聞かせる

この前の夜 君が寝てる間に僕は聞いた
君がかすかに囁いた誰かの名前を
「最近何か変だよ?」と聞いても
「何も変わってないわ」と君は答える

楽観的に考えようとしても 予感が外れる事を願っても
僕の目は 本当の気持ちを知っている
否応なしに目から涙が溢れてくるから
今度こそ終わりかもしれないと判ってるから

楽観的に考えようとしても 予感が外れる事を願っても
僕の目は 本当の気持ちを知っている
否応なしに目から涙が溢れてくるから
今度こそ終わりかもしれないと判ってるから

−−以上対訳−−

別れを悟った人間の気持ちをリアルに歌い上げるスティービー・ワンダー。そんな彼は盲目だということに、後で気付いた。彼はまさしく天才だ。

2004/5/4


"Lately" by Stevie Wonder

Lately, I have had the strangest feeling
With no vivid reason here to find
Yet the thought of losing you’s been hanging
'round my mind

Far more frequently you're wearing perfume
With you say no special place to go
But when I ask will you be coming back soon
You don’t know, never know

 Well, I'm a man of many wishes
 Hope my premonition misses
 But what I really feel my eyes won't let me hide
 'cause they always start to cry
 'cause this time could mean goodbye

Lately I've been staring in the mirror
Very slowly picking me apart
Trying to tell myself I have no reason
With your heart

Just the other night while you were sleeping
I vaguely heard you whisper someone's name
But when I ask you of the thoughts you're keeping
You just say nothing's changed

 Well, I'm a man of many wishes
 I hope my premonition misses
 But what I really feel my eyes won't let me hide
 'cause they always start to cry
 'cause this time could mean goodbye, goodbye

 Oh, I'm a man of many wishes
 I hope my premonition misses
 But what I really feel my eyes won't let me hide
 'cause they always start to cry
 'cause this time could mean goodbye

2004/5/3


戦いの功罪

「男っていい気なもんよね、『ついに戦うぞ、戦争だぞ』と自分達で雨を降らせ始めて、いざ降り始めたら『大変だ、雨がやまない』と大騒ぎ。とばっちりを食らうのは残されたあたいら女子供よ」

ニコール・キッドマンとジュード・ロウ主演の映画、「コールド・マウンテン」で、レネー・ゼルウィガーが言った台詞だ。小説を元にアンソニー・ミンゲラ監督が映画化したものだが、台詞や描写が胸を打つ作品に仕上がっている。戦時下における愛と人間らしさの喪失がテーマだが、決して不必要なまでの暴力描写や見せすぎな性的描写がない。

ストーリーの進行はシェークスピア文学に通じる悲劇形式で、それを忠実に演じる悲劇のヒーローとヒロインに降りかかる運命を前半の伏線で判りやすく丁寧に示す。焦りと喜びとやるせなさがほぼ同時に襲ってくる後半の展開は、ポップコーンを買ったことすら忘れる力強さ。「ここが泣き所です!お前ら全員泣け!」というようなあからさまなお涙頂戴もなく、自分が送ってきた人生とこの映画を重ね合わせることで、泣く人は泣き、どうでもいい人はあくびをする。

1860年の南北戦争ので引き裂かれた男女の恋仲や死別する家族達、そして人間的思考と理性を失う人々をつぶさに描写することによって、繰り返される戦争の悪とそれを起こす人々の罪を痛烈に批判する反戦映画とも取れる。

何より皮肉なのが、アカデミー賞にいくつノミネートされるか、受賞するかで大騒ぎしている世界一の経済大国が、イラクを戦火に埋め、占領し、必要以上の戦闘と虐殺、そして拷問を含む尋問を実施しながらも「そんな虐殺など無い」と知らぬ存ぜぬを通している事だ。

ジョージ・ブッシュや小泉はコールド・マウンテンを見ても「いい映画だね」「この人達が頑張ったから今のアメリカはあるんだよ、ははーん」と感心・感動して終わるかもしれないが、キッドマンとロウをファルージャの人に置き換えて見てもらいたいものだ。

As Michael Moore put it, "We are against this war, Mr Bush. Shame on you." And so am I.

2004/5/2


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