青い目の異人さん
ガイジンも色々、ニホンジンも色々。
中国人や韓国人を馬鹿にする頭の悪い日本人が世の中にいるように(といっても別に石原慎太郎を指しているわけではなく)、日本人やイラク人を馬鹿にするアメリカ人も世の中にいる(といっても、ジョージブッシュ 略)。馬鹿にするというのは、自分が理解できないから馬鹿にするのだ。
「あいつ、変な日本語喋ってるよ、何言ってるかわからないよ」「中国語でまくし立ててるよ、何言ってるかわからないよ」
「あの日本人、英語の発音下手糞だな、何言ってるかわからないよ」「なんだあの腐った豆食べる奴らは。クレイジーか?」そんなだ。
何のことはない。理解しようとしていないだけなのだ。多くの中国人の話す日本語は確かにわかりにくい。でも彼らだって日本で暮らす為に、苦労して日本語を身に付けているのだ。立派なことではないか。TOEICの日本語版TOJICがあれば、多くの中国人はきっと700点は取れる。一方、どれだけ多くの日本人がアメリカに留学し、日本人社会の中で生き、英語を学ばずに帰ってくるか?1年の留学後、TOEIC 700点以上取れるのか?比較対照としては面白いかもしれない。
納豆。腐った豆だ。ぶっちゃけ臭い。あれだけ発酵して粘ついていれば腐敗臭と殆ど変わらぬ。多くの関東人は納豆を食べる。生卵だってそうだ。ガイジンからすると、卵を生で食べるなんてサルモネラ自殺だと思っているのかもしれない。そもそも気持ち悪いだろう。
ロスト・イン・トランスレーション。Please, please lip my stockings! 1分間の日本語に対し、通訳が喋る英語はわずか5秒。判り辛い地下鉄の乗り換え。見たこともない食べ物。山姥ギャル。そんな障害を乗り越えてでも日本を体験したいというガイジンが居ることに驚いた。
彼女の名前はイヴォン。日本語で書くとイボンヌだろうか。親父の旧友の姪であり、カリフォルニアで人文を専攻している。半年間、日本の文化の講義を通じ日本に興味を持った彼女は川端康成、吉本ばなな、村上春樹、谷崎潤一郎、大江健三郎らの本を読み漁った。日本に住んでいる日本人の方がそれらを読んでいないのではないか。
そして彼女は日本に来た。今月から1ヶ月間、うちの実家に泊まり、「もっと日本を深く知りたい」という理由で、明治神宮でお参りをしたり、竹下通りで「ゴスロリ」ファッションの男女と写真を撮り、食卓で出される納豆と生卵を食し(刺身?そんなん食えてあたり前)、ベーシストのサトシ、大学時代の親友ショウジを含む友人らと六本木で夕飯を食べた。
生粋のアメリカっ子が納豆を食べるのは、僕らがアフリカに行って「蟻。美味しいよ、食べてご覧」と言われて食べるのに近い。見た目:悪い 匂い:悪い 摘み上げた時の感触:ねばねば まるでご飯一杯にスパイダーマンのさなぎが乗っているようだ。それでも彼女は食べる。そして「意外といける」と言う。
彼女はチャレンジャーだ。「なぜ何でもトライするの?」と聞いた。「それはね、一度試してからでないと、何もわからないからよ」と言った。その通りだと思う。食べてから。話してから。試してから。やらずに「どうせ好きじゃないから」という考えを持つと、戦争すら起こる。
みんなで夕飯を食べていた。彼女は僕の友人らとの時間を凄く楽しんだようだ。「あんなに一箇所に、あれだけのピュアな人たちが集まっているのは滅多にない、少なくともアメリカでは」と言ってくれた。実態はわからないが、彼女が偏見なしに、8人の日本人に囲まれてみんなと話しながら夕飯を食べた。この事実だけでも素晴らしい事ではないか。
一方では、小泉を筆頭として、イラクにボランティアに行く自国民を嘲る日本国民がいる。自国の敵は神の敵、生かしても殺しても連れて帰ってこいという指令を出すアメリカ国民もいる。そしてイラクでのテロは絶えない。
人は何の為に生きているのだろうか?戦争をするため?自分達の領土を守る為か?
笑止。互いが気持ちよく生きられるように。一人でも多くの人間が幸せで快適な人生を送るために、僕らは生きている。究極的な共生。競生ではない。イヴォンのような人、ショウジのような人間がもっと多くこの世の中に居たら。互いを憎みあう前に、相手の国民性を「試食」し、互いを理解する努力ができれば。宗教は一つである必要はないと許しあえれば。
The world will be a better place for all of us.
日本文化を試食に来ました
2004/6/28
依存症
最近、出張先でシャツを買ってしまう。
といっても、どこでも出先でシャツを買いたい浪費病にかかったわけではない。理由はある。
元は先月末の仙台出張がきっかけ。市内に一泊して帰る予定が、仕事の都合により延びた。結局夜は牛タンを食べ、ホテルへ。着替えのなくなった三日目、午後に東京に戻り別の客先にいくために着ていくYシャツがない。あるのは汗臭さの残るポロシャツ二枚のみ。
仙台「利休」にて
ユニクロでもないかと目抜き通りを歩いていたら、目に留まったのがこじゃれた雰囲気の"Adam et Rope"。普段入らない店だし、仕事で着れるシャツなどないだろう思ったが、もしかしたら何かあるかも知れない予感がした。
ラインアップを見ると、イタリアはナポリのシャツメーカー、Barbaと提携して作った麻、綿、シルク混リネンのシャツが、三種類三パターン。どのデザインも心を打つ美しさだ。予感は的中した。
購入の同機。心地よい距離感で必要最低限の説明をする理想的な店員の接客も大きいが、一番の決め手は袖に腕を通した瞬間の、爽快感。ユニクロと比べると値段は安くない。だが、すぐに気持ちは固まった。財布を広げた。
極上の着心地
人間の体は非常に立体的だ。腕一つとっても肘の出っ張りや肩の膨らみがあり、布を四角く切って張ったようなシャツは、腕を通した瞬間に不快感を感じ、着ていても不自然な皺が寄る。一方、一流のシャツメーカーが作ったものは、腕がするりと通り、着ても皺がよらない。
縫製後に立体的な形になるように裁断しているため、体の膨らみに完全にフィットする。人間工学という言葉が生まれる何百年も前からシャツを作っている国のものだけに、長時間着ていても肩がこらない。
あなたはお気に入りのシャツ、週に一度は着たいシャツはあるだろうか?もしあるならば、それはデザイン以上に着心地が良いからかもしれない。
そんな事を考えながら、昨日の出張。仙台で人気の店、利休にてタン焼きとシチューを食し、またもや仕事の都合で予定外宿泊、そして東京に戻る前にAdam et Ropeに吸い寄せられる。
極上の牛タン
目的は一つ。着るだけで幸せになれるシャツを買うためだ。
確かにスーパー・スーツストアや、ユニクロでもシャツは買える。何枚か買った。値段は安く、デザインも悪くない。着心地もそこそこだ。だが、それはきっと妥協だ。仕事で着なければいけないから、着るのだ。Barbaのシャツは、着たいから着るのだ。
次回の出張も、時間どおりに仕事が終わらないかもしれない。ホテルに泊まらなくてはならないかもしれない。そしてシャツを・・・シャツを買わなくては・・・。
着るのが楽しいから
2004/6/24
侍 対 外人
今更ながらラストサムライを見たんですけどね。
当初不安だった「トムクルーズ万歳映画:MI-3 舞台は日本へ」かと思いきや、きちんと昔の日本を描いていて好感が持てる。侍に扮する渡辺謙は決して誇張しすぎ、日本臭さの演出をやりすぎた感じはしないし、村の女に扮する小雪もアメリカ映画にありがちな「日本の女はみなゲイシャよオホホ」という感じでもない。
ストーリーとしては、「西洋の文化が古きよき日本を終わらせてしまった瞬間」に焦点をあてている。それが良いとも悪いとも言わず、歴史とはこうだったのだ、と坦々と伝えるところはベン・アフレック(又の名を便溢れっく)主演の大衆娯楽映画「パールハーバー」のような歴史を捻じ曲げて伝える作品とは一線を画す。
この「ラスト・サムライ」を見た海外の「日本人・アジア人の名誉を守ろう」的な団体が、「これが日本です!これこそ日本ですよ、皆さん」と言って、一方で「ロスト・イン・トランスレーション」を「あれは酷い。日本を捻じ曲げて伝える最悪の映画だ、絶対見ちゃだめ」と批判したらしいけれども、その団体もちょっとネジが緩いんじゃないか。
ガトリングガン、コカコーラ、そしてチョコレートが日本の国土に入ってきた頃から日本にはサムライもサムライ魂も消えてしまい、今の日本は軽薄な若者がゲーセンで音ゲー (所謂ダンスゲームやギターゲーム)で無駄に金を消費し、カラオケで最新のモーニング娘。を代表とするもはやメンバーに誰がいるかなんて誰も気にしちゃいない軽薄系「アーティスト」の音楽を我先に歌い、ネットの掲示板で同級生と罵りあった結果刀ならぬカッターで頚動脈を切る、これが日本だ。
伝統を重んじ将来を憂い拳銃の入国を体を張って拒んだ「ラストサムライ」はもういない。今の日本人は、過去の日本についても、未来の日本についてもろくに考えちゃいない。国際交流?世界平和?インターナショナリゼーション?糞くらえですよ。それが今の日本、そしてソフィア・コッポラが描き出した日本。どちらも僕は真実を切り取っていると考えます。
2004/6/20
ネイティブスピーカー
「ジャズ」という1940年代に生まれた言語を話す人を知っています。
親友ショウジ&アサコとライブ見に行きました。アサコの誕生日になにかお勧めのライブはないか?と聞かれて、真っ先に思い浮かんだのが海野雅威君(ピアノ)のライブ。スケジュールを調べたら高田馬場でライブをするのがわかったので、是非どうぞとお勧めしていたんです。偶然僕も今日は仕事を早く、といっても8時台に上がれたので、合流。
海野君のライブに行くときh、普段は赤坂のBフラットという店で、ドラム、ベース、ギターそしてピアノというカルテットの演奏を聞きに行くことが多いんだけど、今日の店は10人以上入ったらぎっちり、ミュージシャンもせいぜい3人しか入れない、6畳半ぐらいのライブハウスホットハウス。演奏者は海野君とサックスの竹田さん。
2ステージ、2時間の間たっぷりと海野君のピアノを堪能して感じたのは、彼以上に光るピアニストを僕は見たことがない、ということ。少なくとも、日本人では。テクニックが凄い、音数が凄い、リズム感が凄い、斬新さが凄い、見た目が凄い(ルックス抜群!)、若さが凄い(弱冠16歳でデビュー云々)みたいな人は沢山いるんだけど、純粋に「このピアニスト、最高だな」と思える人は、いません。
海野君のピアノは、普通のピアノ。凄く奇抜なことをするでもなく、新しいスタイルに走るでもなく。古きよき時代、クラシック、ミュージカル、オールドジャズ、ラテン音楽、色々な要素を素直に体の中に取り入れて、ステージでじわじわ放出している感じ。それはまるでアメリカの少年が文法も単語の定義も理解せずに英語をペラペラ喋るのと同じで、頑張ってる、考えてる、気負っている、そんな片鱗が見えない。その場の雰囲気を感じ、自分の気持ちを鍵盤で言い表している感じ。
僕が心から愛するピアニスト、オスカー・ピーターソンやベニー・グリーンは、紛れもなくジャズのネイティブスピーカー。その文化で育ち、その中で学び、演奏を通じて表現力を磨いてきた人たち。日本には英才教育を受けたピアニストは沢山いるけれど、自然に話せるピアニストはあんまり居ないようだ。
そうはいっても、きっと海野君もアメリカ人ばりにジャズ言語を喋る為に、日々発音の練習、単語の習得、そしてリスニングを欠かさないんだろうと思う。何より実践が一番、彼は6月は18回のライブをこなす。サラリーマンが英語を学びにNOVAに行く頻度の5倍、彼はジャズ言語能力を鍛えている。
そのうち彼は本場でどれだけ自分の喋りが通用するか、ニューヨークに行ってしまうかもしれない。今のうちに沢山彼のライブを聞きたい。
2004/6/15
お久しぶりです
どうも皆様こんにちは、こんばんは、おはようございます。
なんとなしに日記を書かずにいたら、あっという間に1ヶ月の内の3分の1が過ぎてしまいました。死ぬほど忙しかったからとか、やる気がなかったからとか、日々遊んでたからとか、毎日がエブリディだったからとか、特に理由はないんですけどね。
今月は何をしたんだろう。それはもう、色々と。海外留学の論文を書いたり、お客様先でちょっとヘマをして謝ったり、社内の別の部門と新しい技術の検証をしたり、人事の人とお茶したり、サーフィンしたら死ぬほど顔が日に焼けて会う人会う人「一体どうしたの?」と聞かれたり、梅雨入りしたとたんにスーツを着たくなくって2日連続でポロシャツで会社に行ったり、6/26に東京倶楽部でやるライブの練習をしたり、中華料理食べたり蕎麦食べたりジョギングしたり部屋片付けたり。
所謂普通の人の普通の生活ですね。そうして日々が過ぎていく。毎日、何も考えずに暮らそうと思えば、何も考えなくてもいい。友達と電話をしたり、メールで心を通わせたりしなくてもいい。でも、僕らは人間だから、生きている間は友達と会うべきだし、話すべきだと思う。こうして日記みたいなのを書いたり、世の中のおかしな事について30分考えてみたり、仕事の先に何があるのか自分の将来について真剣に考えたり。
思考停止したときに、我想わぬ、故に、我無しとなるのが一番怖い。
2004/6/10